限界集落とコンパクトシティか

  • 地方都市の問題と限界集落の問題(その2)

http://d.hatena.ne.jp/usataro/20080211#p1
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http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080930/1222765022#tb
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http://d.hatena.ne.jp/j_whitestone/searchdiary?word=%2a%5b%c3%e6%bb%b3%b4%d6%c3%cf%b0%e8%5d


面白いエントリーがあった。

目からうろこというか、驚いたのは、限界集落に関する論議コンパクトシティに関する論議が同一のように取り扱われていた、ということ。

ずっと不思議だった。
なんで限界集落の話をしているはずなのに、コンパクトシティが出てくるのか?と。
いや、思想としては分かるんだけど。
あらゆる機能を集約して歩ける範囲でサービスが受けられる社会システムを構築しましょうってことだ。

ただコンパクトシティは基本的には郊外化が拡大して中心市街地が衰退した、いわゆるシャッター街化という現実を受けて、出てきた思想のはず。
小さなまちづくり、という視点と中心市街地の中小小売店の支援をベースに置いている。

限界集落を悲観しすぎないで!!

それと高齢化が進み、人口減少が進み、地域社会の継続そのものが危ぶまれている地域問題とを同じ枠組みで論じるのはおかしなことだ。
いわゆる限界集落について、上記エントリーではこう触れている。

こうした村では、おそらく「都会に収奪された」という意識が強いのではないか。自分たちのコミュニティの主要な働き手を都市部に取られ、都市部が経済的な繁栄を謳歌しても自分たちの村には恩恵が及ばない。

この点は少しズレている。
わずか半年とは言え、いわゆる限界集落の最前線、ど真ん中に住みながら地域の方から聞いた話では、「収奪された」というような泣き言は聞かれなかった。
そこには強がりも多分にあるのだろうが、寧ろ「親として教育を受けさせ、都市部へすむように教育した。帰ってこないように教育したので、今の状況は仕方がない」というものだった。

負け惜しみもあるとは思うが、限界集落に住む高齢者に話を聞くと、そこまで悲観しなくても……と思う。
なんていうか、若造が「おじいちゃん、おばあちゃん、不便なところで大変ですね。何か困っていませんか?」と言っても、「な〜んも困っとりゃせんよ」と。
寧ろ、そういうところで暮らす高齢者の生活力、ゆとり的に言えば「生きる力」が僕らとは桁違いだということに気づかされる。
ああいう能力、ノウハウは次世代に引き継ぐべきものだろうなと思うし、実際少しでも引き継いでいけるように活動はしている。
要するに、「限界集落」の姿をまっすぐに見ず、イメージだけで「守れ」だの「撤退しろ」だの騒ぎ立てている。そんなに極端に走らなくても……という印象。

経済効率性で見るなら中山間地域の可能性を評価すべき

そして、相変わらず言い続けたいんだけど、経済的効率というモノサシだけで議論を進めて、限界集落に投資する必要はない、中山間地域に住むじいさん、ばあさんは街中に住めば良いんだというのはまさしく暴言。愚挙。

他の地域の中山間地域における歴史は分からないんだけど、中国地方の中山間地域の集落形成は製鉄と林業が主要産業だったことが強い影響を与えている。
こうした産業がエネルギー革命(木炭から石油)、高度経済成長(都市部労働力の農村からの提供)を通じて大きな構造転換を経て今の高齢化、少子化そして、「限界集落」化している。

だからこそ、エネルギー危機、食料危機が叫ばれる今、中山間地域は大きな可能性を秘め、「攻め」に転換するタイミングを見極めることが重要なんだろう。

ですから、木材の輸入全面禁止を提唱しましょう。今すぐ、では混乱を招くでしょう。一定のモラトリアム期間をおいて国内産木材へのシフトさせる。世界の天然森林保護に繋がり、限界集落地に産業と雇用を創出する事になるのです。木材産業の復興は山林を維持し、副次的にバイオマス燃料供給にも繋がります。その山林木材の需要が地域で賄われれば最も効果的です。

おわりに

あー。ちょっとだけ触れようと思ったんだけど、けっこう書きたいことがあるなぁ。
ま、触れたエントリーほど考えもアイディアもまとまってないので恥ずかしいばかりだけど。

とにかく、中山間地域のこと、限界集落のことを積極的に評価している人がいることをうれしく思う。
もちろん、お二人が指摘している課題はきわめて重要だろうし、都市部に住む人たちが納得できる存在意義というものを提示していくこともまた大事だろう。