限界集落という言葉のひとり歩き


限界集落という言葉が独り歩きしています。

限界集落」という言葉のイメージや偏った定義に基づいて話が進められている現状はちょっと見るに耐えないので、少し整理できればと思います。

限界集落という言葉の始まり

もともと限界集落とは1991年に大野晃氏(当時、高知大学教授)が、提唱した言葉です。

その定義には二つの要件があります。*1

1.集落の人口の過半数を65歳以上の高齢者が占めること

2.集落の自治機能、農作業や水路管理など生産活動管理機能、冠婚葬祭などといった集落として共同で取り組み、発揮してきた機能が衰退していること

この2点です。

この2点の違いとしては、前者は数値化による客観性が担保されているのに対し、後者は数値化することは困難で、機能が発揮されているか衰退しているかはたぶんに主観的な判断となります。
また、衰退のレベルも冠婚葬祭のうち祭りはできないけど、葬儀はできるよ、とかいろんなケースがあり、やっぱり後者の判断は主観的にならざるを得ない。


一般的な「限界集落

しかし、報道を見ていると、前者の要件のみを指して「限界集落」としているものばかりです。
僕が見ている限り、後者の要件に言及している記事なんてほとんどありません。
それはおそらく、上に書いたように、客観性が担保できるから、ではないかなと思ってます。

逆に言えば、後者は判断する人間によって「限界」なのかそうではないのか、別れるところだろうと。

そこが難しいところでもあり、だけど、中山間地域の問題、「限界集落」の問題のキモになるんじゃないかと思います。

限界集落をなめちゃいかん

限界集落」という言葉を聞いて、そこに住んでいない人が受けるイメージは、「辺鄙な田舎」、「陸の孤島」、「助けてやらなければいけないおじいさん、おばあさん」といったものじゃないかと思います。

しかし、実際に住んでみればわかりますし、住まなくても何度も足を運べばわかりますが、限界集落に現役で暮らしている方たちの暮らしの技術は素晴らしいですよ。

そこには「助けてやらなければいけない」弱者の姿はありません。
もちろん、身体的には弱くなってます。だけど、ひとたび山の中に入れば、若い人間は置いて行かれるくらい身軽です。
なめてはいけません。

限界集落」に求められる対策とは

ただ、真の意味で「限界」集落となった集落については、これから活性化しましょう、というのは現実的に考えると難しいです。
それは、活性化させる取り組みに参加できる人がいないから。

だから、「限界集落」対策とは本来、「いかに限界集落に近づけないようにするか」ということになるかと思います。

その対象は、「限界」手前の小規模高齢化集落となるでしょう。

一方、「限界集落」には活性化のための取り組みではなく、小田切先生(明治大学)や作野先生(島根大学)が言われるように、「集落の看取り」や「村納め」といったソフトランディングが求められます。

1集落に12〜13人といった集落では、そこに住んでいる人が寂しさを感じつつも、「あぁ、ここに暮らしてきて良かったな」と感じられる、きわめて個人的な幸福感、満足感を提供できる施策です。
これは難しいことは要らないと考えます。

具体的には、役場職員が毎週、毎月、各世帯を訪問し、地域を集落を見捨ててない姿勢、地域を守ってきてくれてありがとうという感謝の姿勢を伝え、時に一緒に汗を流す。それで事足りると思います。

納得はしなくても、理解はしようとしてほしい

僕も農山村のすべてを理解しているわけじゃないです。
だけど、そこで暮らす人たちの強さ、しなやかさ、忍耐力といったものは肌で感じることができました。

そして、そこで感じた感覚は自分の価値観を変えました。

経済合理性だけで話をしている人には、なかなか分かってもらえないとは思いますが、「不便なら引っ越せよ」という簡単なものではないということから気持ちだけでも理解してもらえるといいなーと思います。

*1:僕の認識ですが